随分長い間、ネット上で情報発信をしなくなってしまった。自分が好きだった頃のインターネットとは様変わりしてしまったようにも感じる。インプットをサボっていたといえばそれまでだが、あるときを境にバーンアウトしてしまったのだと思う。なにかに対して関心を維持することが今の私には難しい。

Twitterだけはほそぼそと惰性で続けてきたが、特に楽しんでいるわけではない。書いてはいけないと感じられることが増えた。昔なじみのフォロワーと旧交を温めるのも、なんだか迷惑をかけていないか気遅れしてしまう。くだらないジョークで周りを楽しませる気も起きない。知らない誰かと繋がることに喜びよりもリスクを感じるようになった。Twitterが始まって間もない頃のように、誰彼かまわず気軽に声をかけられる時代ではなくなってしまった。今どき有益な情報を発信しなくなってしまった私に声をかけてくるのは、SNS初心者か、詐欺師か、極度の寂しがり屋くらいしかいないだろう。

YouTubeの視聴時間は増えた。この数年での動画制作レベルの向上は凄まじく、トップレベルの知識やスキルの持ち主が重要な情報を短時間に凝縮して教えてくれるのはありがたい。ゲーム実況なども楽しい。視聴者を引きつけるためのサムネイルのデザインやタイトル、構成も洗練されたものが多く、テレビ番組の制作ノウハウも多く取り入れているのだろう。まったくの素人が参入しても太刀打ちするのは至難の技だ。世の中にはすごい人たちがうんざりするほどいるんだな、といつも思わされる。今さら自分がなにか情報を発信したりものをつくったりする意味を見失う人も少なくないのではないだろうか。

ネットサーフィンは調べ物があるときしかやらない。Google検索結果には満足していない。いつからかそれぞれの言語圏に閉じたページばかり表示されるようになった。いわゆる「いかがでしたかブログ」にはうんざりするが、時間のないときに手早く欲しい情報を手に入れるには悔しいが便利だ。頻繁に挿入される広告にさえ目を瞑れば、文書構造だけは洗練されていて、わかりやすい見出し、リード文、目次、ナッツグラフから結論に至るまでキレイな型に収まっている。一方ですっかり見ず知らずの他人の書いた日記を読みに行かなくなった自分に気づいた。

なんか、みんなおんなじ口調でおんなじ言葉を話してるな、と思う。生活に役立つちょっとしたライフハックを紹介するときの口調、うまい料理やそのレシビを紹介するときの口調、ゲームの新キャラや革新的な攻略法を紹介するときの口調。それから仲間同士を識別するためのスラングやネットミーム。これでもかと修飾されたお決まりの構文。さらには機械が生成するコンテンツ。とはいえ情報の質自体は悪くなかったりするのが逆に厄介だ。

つまんねーな。と思う。同じリクルートスーツを着て前向きな志望動機を述べる就活生みたいだ。さまざまなプレイが可能なゲームに必勝の攻略法が紹介されて、いつのまにかそれ一色のプレイスタイルになってしまったときみたいだ。結局は最適化の結果として、今の姿があるのだろう。でもつまんねーな。借り物の言葉ばかりでお前の魂の色が見えない。

いろいろTwitterに書くべきではないであろう思いや言葉が溜まってきて、そういえば自分が長らくブログを書いていなかったことに気づいた。私は自分が誰かの役に立てるときにしか、自分から誰かと繋がることができなくて、他人に迷惑をかけるくらいなら黙って消えてしまいたいとよく思う。他人に助けを求めたりするのはずっと苦手だった。孤独死で人生を終える人の多くは私と同じ心境なのではないだろうか。

誰かの役に立てなくても自分と世界を言葉で繋ぐために、瓶に入れた手紙を海に流すように、またときどきブログを書いてゆこうと思う。

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